おカネがあれば欲しいと思ったときに、我慢しないで使えるだけのおカネがあるといいわね
年金生活も6年目に入ったというのに、妻は時にらちもないことを言う。定年後台所を任されて、毎日やりくり算段している私だって、同じ思いをすることがある。口に出さないだけだ。昭和41年に結婚した時、新家庭には冷蔵庫もテレビも電話も風呂もなかった。今では全部揃(そろ)っている。クーラーまである。 『都市の日本人』や『不思議な国日本』などの著書で知られるR・P・ドーアさん(ロンドン大学教授)の最新刊『働くということ』(中公新書)を読んでいたら、「生活、水準が向上するにつれて、暮らしの、標準も上がり、以前に贅沢(ぜいたく)品だったものが基本的な必需品のカテゴリーに組み入れられるようになります。(中略)それらを持っていないことが、社会から『排除された』二流市民の指標になってしまうのです」とある。(傍点は著者) 同じ意味のことを江戸時代の儒学者・荻生徂来は、第八代将軍・徳川吉宗に献上した『政談』の中で言っている。 「とかく金さえあれば、賤(いや)しき民も大名のごとくして何の咎(とが)めもなし。(中略)我立派をせんと思うより、世間次第に奢(おご)りになり、そのおごり年久しければ風俗となる。その内に生るる人は、これ侈(おご)り也という事を知らず。ただあるべきはずの事(当たり前のこと)なりと思う」(岩波文庫) しかし、いつの時代にもドーアさんのおっしゃる「排除された」人たちはいるもので、「おカネがあるといいわね」という妻の願望は、クルマはない、ブランド品には縁がない、指にはリングのひとつもはまっていない、夫婦二人で海外旅行をしたこともない、「あるべきはず」のものを欠いている二流市民が、思わずもらした本音だとすると、私には返す言葉もない。
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